寿命 Life Span
- On 2023年3月11日
自分は、実に様々な分野の医療に関わってきた医師です。今は、ご縁があって、老人医療に深くかかわり、人様の人生の終わりに寄り添い、実務的には「死亡確認」させていただき、「死亡診断書」たるものを度々発行する立場にあります。
老人医療の施設では、最後の最後まで、徹底的に治療を施すという大病院での最先端医療道とは異なり、医師・看護師・介護士スタッフとご家族で、もちろん認知症のない方や自己判断可能な状況の方は、ご本人の意思も踏まえて、しっかり皆で何度も何度も話し合って、皆で納得して、看取りという方向で、その方の最期の日々に寄り添うことも多々あります。
医学的な所見やデーターに基づき、もうそろそろ、この方はこの世を離れられるなという段階で、ご家族にご連絡させていただき、いつもよりは密な面会ができるように、施設でも対応を整えます。所謂、コロナ禍であっても、出来きる限りの面会対応を考えます。
ところが、「もう、ご逝去が近いですよ。」とご家族にお話しさていただき、ご家族も実際にその患者様に直接面会され、「先生、どうぞ、静かにこのまま見守って逝かせてやってください。」となってから、実際にその方が旅立たれるまで、大きな個人差があります。
決して、そこからその方が何十年もご存命されるという意味ではありません。しかし、今日明日お亡くなりになるのでは?という状態でおられた方が、一度非常に良い小康状態を獲得され、お口からお好きなものを少量召し上がったりするレベルまで回復されたりします。周りが驚くような日々を、おそらく、ご自分の納得される期間、時に数日から数週を過ごされてから、ご家族とお別れをされたりします。中には、数少ないのですが、一度お看取りの契約を交わしていただいたのに、そこから急に元気になられて、お看取り契約を一旦解約させていただくことすらあります。そして、施設でお預かり可能な法的な期間を長期に超えてしまうため、別の施設へ、笑顔で移動されたりすることすらあるのです。ところが、反対に、まさかこの方がこんなに早く逝かれるとは?と思うような亡くなり方をされる方もおられます。夜間ラウンドをしていたナースに、「あれ?この方、呼吸をされてないのでは?」と気づかれて、すっと静かな穏やかなひそやかな旅立ちをされる方もおられます。
こういうのは、医学的な話だけでは、どうしても分からない部分はあります。私が、未熟な医師であるからだけかもしれないですが。。。すみません。
瀬戸内寂聴さんの書かれたある本の中に、はっとさせられる一文があります。「仏教では『定命』といって、人間の寿命は生まれた瞬間に決められているとされています。」
前もって定められた命、定命(ていめい・じょうみょう)は、英語では、one’s predestined length of life…そういうのはきっとあるんだろうなとしみじみ思います。