般若心経って? What is Heart Sutra?
- On 2025年10月11日
無神論者の自分が書くことなので、とんでもないおバカなブログになるかもしれません。前もってお許しくださいと申し上げておきますね。
実は自分は、般若心軽の写経をやっています。ちゃんとお寺さんへ行って、墨を摺って、筆で書いて、毎回奉納しています。相当の数になると思います。多分このブログを公表するときには、いったん区切りの108回はとうに超えていると思われます。写経で願いを叶えたいとか(一応お願い事は末尾の方に書く場所があります。だから願っていいのですが、、、)ご利益があるとか、そういうのではなく、未熟ですぐに大揺れになってしまう我が心を凪にするために、そして、筆で字を書く練習ですね(小学生時代、書道は2段でやめちゃったけど、、、)。静かな空間で、なにかしら、キーンとした静寂があって、参加している人たちが、黙々と墨を摺る音(シュッシュッ)、それぞれのリズムで和紙に筆で字を書いている音(これはほぼ無音に近い微かな音)、何かのころ合いで、配置を整えるために和紙をずらすときの音(カサッ・・・墨が乾いてパリパリッという音もしたりする)、、、そういうのが全ていいんですよ。今の時代、騒音に塗れた日常、でも写経場には、それと全く違う空気が流れています。
さて、でも、自分は、肝心の般若心経ってのをよく分かっていないんです。般若心経には、ただやたらと、無とか空とかいう字が出てきます。なんか悲しいような、虚しいような気もしますよ。どうやら、この世に起きることは、プラスマイナスのどちらも共に何も無いらしいのです。ですから、実態のないモノに対して、何も悩まなくていいんだそうです。~~~って言われても、その境地に達するには、相当時間も努力も必要と思われます。般若心経の英語訳にも、NoとかEmptinessが飛び交っています。(参考ページ)
般若心経どころか宗教もよく分からないまま、少しは理解度を上げようと あれこれ本を読んだり、ネットを覗き見たりして、もう出典はどことは分けわからずになってますが、どうやら仏教では、キリスト教のように、愛は、そこになにかしらの自己愛があるので?あえて説かないとか?小乗仏教は大乗仏教より、まだ自己愛があるような?ものだそうで?え~~っと、そうだっけ?もしかして、記憶違いがあるかもです。とにかく色々と全て分かりません。
分からないけど、写経は続けます。瞑想やヨガと似ている感じがして、未熟者の自分には必要と思うから。
参考までに、よくご存じのWikipediaウィキペディアより
The Heart Sūtra is a popular sutra in Mahāyāna Buddhism. In Sanskrit, the title Prajñāpāramitāhṛdaya translates as “The Heart of the Perfection of Wisdom”.
般若心経は大乗仏教で有名なお経です。サンスクリット語で、プラジニャーパーラミターフリダは「知恵の完成の心」と訳されます。
