今日は何もしなかった I didn’t do anything today
- On 2024年10月12日
今日は何もしなった。そういう日には、大体は自分を責めて、何も出来なかったダメな自分だという風に、自虐的に自省する場合が多いですよね?けれども、どうやら哲学の分野では、専門家はそういう風には考えていないようです。例えば、このページなど読んでみてください。山上浩嗣先生は、我々が、ただ生きているその存在そのものを、丸ごと肯定するという解釈を書いてくださってます。モンテーニュさんは、凡人に寄り添ってくれる優しい考え方の哲学者なんですって。(明石家さんまさんの 生きてるだけで丸儲け という言葉にも、どこか通じる部分もあるのかもしれないです。)
人生、生きていれば、山あり谷あり、大波あり凪あり、やむを得ず、図らずとも、無為な時間を過ごしてしまう(過ごしてしまわざるを得ない)日々だってあると思いますよ。そういう時に、自分を責めずにいられる言葉を、モンテーニュさんが残してくれています。
我々は言う。「ぼくは今日、何もしなかった」と。
冗談ではない。君は生きたではないか?
それこそが最も輝かしいことではないのか?~モンテーニュ
We say, “I didn”t do anything today.” It’s not a joke. You lived, didn’t you? Isn’t that the most glourious thing?~Montaigne
この言葉は、医師として、癌末期の患者さんが、日々、一瞬一瞬を大事に生きておられるのを目の当たりにした時には、もっともっと深い意味を持っていると感じます。昔、何かのテレビのドキュメンタリー番組で、もう今日か明日かの命を生きている彼女(乳癌を患っている女性だったと記憶しています)に彼氏が尋ねます。「何をしているの?」と。その時の彼女の答えを、自分は決して忘れることはできないです。彼女は息も絶え絶えに、でも彼の目をちゃんと見て、しっかりと答えます。「生きてるの。」と。ただここに生きていることを、もう一度、感謝して考えてみる必要があると思いました。