最後の言葉 Last words
- On 2018年8月25日
偉人の残した最後の言葉などには、はっと何かに気づかされ、人生を生きていく時、大きな心の支えになるものが多いですね。
凄く素敵なページがネットで見つけたので、拝借して、ありがたく勉強させていただきました。(参照ページ:和訳は私のものです。)
“I have offended God and mankind because my work did not reach the quality it should have.” by Leonardo da Vinci
「私は神と人類を怒らせてしまった。なぜなら、私の作品はしかるべき質に到達できなかったのだから。」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
天才と崇められるレオナルドですら、まだまだ、成長すべき自分を厳しく評価していたと思うと、気の引き締まる思いがします。多岐にわたり才能を発揮したレオナルド。彼の足元にすら及びませんが、生きているうちに何か一つくらい、上級の領域に入って痛いなと思いませんか?
At fifty, everyone has the face he deserves.” by George Orwell
「人は50歳になれば、それなりのふさわしい顔つきになるものだ。」– ジョージ・オーウェル
20歳になるまでは、その人の顔は親の責任で、それ以降は自分の責任と言われたりします。しかしながら、20歳以降、随分時が流れましたが、全く自分でこれで良しと思うような顔つきになったとは思えません。せめて死ぬちょっと前には、いい顔つきになりたいですね。いい顔つきというのは、決して単に造形が整っているものを指すのではないと思います。しっかり仕事をやってきた人は、本当にいい顔つきをしています。そういう意味のいい顔になりたいです。
“Pardonnez-moi, monsieur.” by Marie-Antoinette
あら、ごめんあそばせ。– マリー・アントワネット
彼女は自分がギロチン台に向かうとき、死刑執行人の足を踏んでしまって、謝ったのだそうです。シチュエーションに驚愕です。自分だったら執行人にそんな時に謝れるでしょうか?いやいや、出来そうにないです。彼女は歴史上では、民衆の困窮を無視した王女として、かなり悪女と評されていますが、彼女にも14歳で自国を離れて、フランスに嫁がされて後、沢山の複雑な人生背景があったことは、多くの人たちが知っております。マリーはどこか芯は大変に強い人だったのであろうと思います。
“Of course I know who you are. You’re my girl. I love you.” by John Wayne
「もちろん君が誰だか分かるさ。君は僕の女だ。愛してるよ。」-ジョン・ウェイン
こういう風に言われて、愛する人を見送ることが出来たら、最高ですね。意識が混濁していく中で、自分の女だとパートナーに分かってもらえるレベルになるには、女を色々な意味で上げないといけませんでしょうね。
私の友人の一人は、60歳になる前に大病に倒れ、天国へ旅立ちました。その友人が残した私への最後の言葉は、「又来てね。」でした。実際には「まな きてな」・・・タイプミスはありましたが、最後の力を振り絞って書いてくれたんだと思います。にっこりマークもついておりました。亡くなる前日、病室へ見舞った私を、彼は最初は認識できないほどの不穏状態でしたが、手を取って、ゆっくり辛抱強く話しかけていると、浮島のように戻ってくる意識を捕まえるかのように、徐々にしっかりしてきて、1時間以上、結構沢山の話をすることができました。彼があの世へ旅立つ4時間ほど前に、そのメッセージが自分に届いたことを、後でご遺族から死亡時間をを教えていただいて知ることができました。その友人とは、天国で笑顔で再会したいと思っています。
人の最後の言葉って、本当に意味が深いですね。
The last words of a loved one can speak new hope to their survivors